究極の選択

病院・主治医
 普通、病気や怪我で医者の世話になる場合には、その医師を信頼して治療を任せます。というよりは信頼しているという意識すらなく、言うとおりにするでしょう。しかしながら、余命半年と宣言を受け、治る見込みがほとんどないとされた場合はどうでしょう。この156日間、大きく分けると4つの病院にかかわり、それぞれで感じたことを書いてみたいと思います。
N病院(総合病院)

 大学病院や総合病院は設備も整っていて医師も優れていると思い、安心して任せられる病院でしょう。実際何度もお世話になっているところでしたし、ここで何の疑いもなく治療をしてもらおうと思いました。最初の主治医は消化器科の先生でした。親切に病気のことも説明していただき、手術についても慎重にことを運んでいただけたのには感謝しています。
 特にサブでついていただいていた女性の先生には精神面で夫婦ともども大変大きな支えになっていただき、いくら感謝をしてもしたりないくらいです。こういった場合、患者も家族も精神的に非常につらい状態になります。夫婦間ですら、直接話をできないこともあり、間に入ってそれぞれの気持ちを伝えてもらえる人がいることはとても大きなことだと思います。話を聞いてもらうだけで、ずいぶん心が休まるものです。
 手術が終わると主治医は外科の先生に替わります。それは当然のことなのでしょうが、その時点で基本的に消化器の先生とは縁が切れます。こんな胃がんはありふれたものなのか、病院全体(と言えば大袈裟でしょうが)で患者を診ているというのではなく、主治医の先生に任されているという感が強かったです。普通の、治る病気なら、それでいいのでしょうが、こんな病気ならみんなで何とかしてあげようという姿勢が見えてほしいと思います。もっとも、あとは死を待つだけなんですよ、何をしても無駄なのにという雰囲気がありありと感じられましたから、それももっともなことだと思います。医師にもジレンマはあり、治せないことにもどかしさを感じているのでしょうが、万に一つでも可能性があるなら、臨床でも何でもして試してみるくらいの気持ちを持っていてほしいとも思います。
S病院(免疫治療)

 生きる手立てとして選んだのが免疫治療です。(免疫のしくみ参照)限られた時間の中で多くを調べることができず、見つかったところで連絡を取りました。この病院はすぐに院長先生から連絡を頂き、親切に対応してもらったので、関東まで行くことに躊躇はあったものの、ここでお世話になることに決めました。(日記参照)しかしながら、行ってみてびっくり。まず、病室の状態。非常に狭い。かなりたくさんベッドが詰め込まれていました。次に対応。治療に対する説明がなく、こちらから聞くまで話がありませんでした。しかも、聞いていたことと違うことが多く、困惑することばかり。あれでは患者も家族も落ち着いて治療を受けられません。全国各地からこの病院には人が集まっていました。様々な治療をし尽くして、最後にそれこそ藁をもすがる気持ちで来院している人がほとんどです。それだけにもう少しなんとかできないものかと思ってしまいました。ただ、キリスト系の病院でしたので、当然心のケアをしていただける方もいらっしゃったようです。(廊下で患者さんとお話されている姿も見ました)たまたま、そんなふうに感じただけかもしれません。
 選んできた方法に悔いはないと自分に言い聞かせているのですが、この病院を選んだことだけは失敗だったという気持ちはなくなりません。手術後の元気な時期だったので残念です。
Sクリニック・K病院(免疫治療)

 S病院のあとの治療として、通院でいけるということで選んだ治療です。横浜のSクリニックに出向き、お話を聞きました。丁寧に説明をしてもらい、看護婦さんからもお声をかけていただきました。実際の治療は神戸のK病院で受けられるということで、京都から近いということもあり、そちらの病院にお世話になることにしました。
 K病院の院長先生は大変親切にお話をしていただき、免疫治療だけでなく、還元水を飲むことも勧めていただき、「大丈夫、きちんと治療していけば治りますよ。頑張っていきましょうね。」と声をかけてもらいました。大きな希望が見えたとは思いませんでしたが、気持ちが落ち着き、前向きに考えられました。少なくとも私は頭ではほとんど見込みがないと思っていましたが、最後まであきらめなずにやりましょうという励ましが何よりの贈り物だったのです。
 9月の終わりに2度目の治療をし、その時点ではもうかなり弱っていたので、院長先生もかなり心配されたのでしょう、次の治療は10月の終わりでしたが、亡くなった次の日に電話をいただき(もちろん、死んだことはご存知ありません)、死んだことを告げると、役に立てなかった無念さが滲み出るような声色で言葉をかけていただきました。もうそれだけで十分。こういう医者であってほしいと思いました。
Y病院(ホスピス)

 結局はお世話にならなかったのですが、私自身が精神的に落ち着くことができました。最初電話した時に応対に出てくださった事務の女性が、大変親切で、しかも親身に話を聞いていただき、今まで一人で抱え込んでいたことの重さから不意に解放された思いで、思わず涙が出てきました。末期がんの患者や家族がどんな思いで病気に立ち向かっているのかよく理解された上での対応だったと思います。見学に訪れたときも、院長先生がホスピスの考え方をはっきりとおっしゃり、患者の痛みをとること、家族の精神的な負担を軽減することを聞くとここでお世話になりたいと思うようになりました。ただ単に死を待つだけの最後の医療ではなく、新しい治療を受けたければ転院することも自由だし、免疫治療のように他の病院に通院することも自由だとする柔軟さには共感できる部分が多くありました。
 転院を考えた時にはもう随分弱っていて、それは叶いませんでしたが、私自身、お世話になった感が大きいです。