6日 

まだ痛い様子。痛み止めを入れずに我慢する場面も。起きてみる。ベッドでレントゲン。


 7日 

朝バレーンの管がおかしくなって先生とんでくる。出血。午前中痛い。歩く。レントゲン車椅子。


 8日 

驚異的に回復に向かう。ホントに癌なのだろうか。歩く練習。お腹動き出して痛い。Hiro4時ごろ。夜ガスが出る。


 9日 

重湯からお粥へ。どんどん食べられるようになる。お茶OK。バレーンの管抜く。夕方痛みがひどい。Hiro夕方。


10日 

流動食開始。おもゆ、ミルク、くずゆなど。体拭いてもらう。まお、ちっち北海道の本持って来てくれる。


11日 

Hiro、まお、遅れてまい。流動食おいしくない。北海道の旅行プラン練る。楽しみ!!早く元気になりたい!!


12日 

検査が遅れていて、行った時にはまだこれからだったので、一緒に行く。胃のほうはよく通っていて一安心。もう五分粥。これからの治療に迷う。抗ガン剤をすべきか。本を発見。手紙を出す。透視、レントゲン。日に日に楽になる。立ったときは痛いカナ?!透視おそくなる。朝昼ヌキ。検査の時Hiroがいて一緒に行ってくれる。胃の具合はOK。どんどん食べるように!夕食より五分粥←ちょっときつい!


13日 

調子はとっても良いので食べることを心がけること!!ムリしないでたくさん食べまっし!!


14日 

早くも電話で返事をもらう。ありがたい。ただ、東京に行くのはどうか。真緒のことが気になるし、自分も寂しい。Hiro2時―3時。半分抜糸。体重39kg。


15日 

ボーナス出る。病院より、わざわざ、実家に呼び出しがかかる。ひょっとして東京のことがばれたのか。それとも悪い病状になったのか。病院に行くと、H先生が待っておられた。話は抗ガン剤のこと。早く決めなければならないが、なかなか踏ん切りが付かない。インターネットで調べても賛否両論。抵抗力が落ちて、死期が早まるようなことが書いてあると、なお考え込んでしまう。レントゲン←一人で行く。Hiro、まい3時―5時。全抜糸。ひきつりがだいぶまし。


16日 

詳しい状況を訊くべく、FAXを送る。3ヶ月東京に行かねばならないのか。それは辛い。Hiro夕方。順調で明日から普通食だ!!たこやきたべてもどーもない!!点滴管を抜く。やった〜!!


17日 

今日からごはんは普通食。6回に分けて、朝はパン!ごはんちょっぴり→とってもたべやすくOKです。体重38kgにショック!!首もOKでした。何も体についていないのはとても楽です!!


18日 

Hiro2人のバレエの間きてくれました。肩・背中もんでもらう。きもちよかった!!


19日 

もう一つの可能性を調べに行く。府立図書館で、ニュートンのバックナンバーから記事を入手。早速手紙を書く。FAXの返事のため、また電話をいただいた。ありがたい。胃ガンについては五〇例中一〇例が助かったのこと。二週間の治療の後、二週間あいだが開けられる様子。抗ガン剤は一度やってからでも良いとのこと。それなら、ここでお世話になろうか。今日で40日目。早く帰りたいヨ!!38.7kg。検査、血・尿・レントゲン。Hiro早めに来てくれる。夕方5時ごろから急に痛みが出る。夕食は×。術後2週間ごろ通りが悪くなるそうです。9時に吐く。楽になる。


20日 

今後の治療についてチャコに話をする。術後の治療について抗ガン剤・東京の二病院の話もする。どうも、もう治っていると思っているのか治療にはあまり前向きではない様子。再発することもあるので、今出来ることをせなあかんとは言ったが。夜中吐く。水飲む。→胃液のみ気持ち悪い!!ごはんは気分みながら少しずつ。Hiro今後の治療のこと...少しこわい...38.0kg


21日 

S先生より、話がしたい旨の電話をもらう。東京のこともきちんと話してみよう。J医大からは返事がない。ひょっとすると個人では相手にしてもらえないのか。病院から調べてもらうのもよいだろう。Hiro2時―3時。売店までついていってもらう。38.0kg


22日 

抗ガン剤投与についての話し合いをする。来られたのは、S先生。東京のことは話がしにくい。それは言わずに、抗ガン剤をする旨を伝える。悩みに悩むがとりあえず、一度やってみよう。検査、血・尿・レントゲン。Hiro先生と話。点滴開始決まり。金or土から。2本ずつ一週間おき不安...どうなるのか?!38kg


23日 

M先生がいらっしゃったので、東京の話をする。調べられることは調べてみる旨の返事をもらう。病院に気兼ねなく、良いと思うことは何でもして下さいと言われてちょっと安心する。チャコがどう思っているのか訊かれたので、治っているように思っていますと答えたら「そんなことはない。全部わかっている」と言われた。涙がどんどん流れてくる。姉いろいろもってきてくれる。Hiro、まい、とってもにぎやか?!まいを下へ送り、車にのる。久しぶり...来週の予定決定!!月ようより一週間4回月・火・水点滴、木金土日休みのくりかえし。38.2kg


24日 

L医学センターで免疫治療があるのを発見。まお、まい、ちっち4人で食堂へおひるごはん 38.4kg


25日 

ばあ、まお、ちっちおひる一緒 おすし食べる おいしー 3つくらいがやっとこカナー12:00ごろ〜4:00 明日より治療始まり おフロに入らしてもらう 8:30〜3:00くらいまで予定だそうです。


26日 

抗がん剤の投与を開始する。何時間も点滴するのかと思っていたが、利尿剤などの点滴をしながら、注射器で2本ほど入れるだけだった。あまりにもあっけないのに驚くよりもそれだけ薬が強いということに恐れを感じた。雅子は疲れやだるさを訴えることもなく、非常に元気で安心した。治療@ 点滴2本、薬2回 いよいよ治療が始まった。思ったより苦しくない...夜、体が重いだるい...食欲はok 38.2kg


27日 

結局、抗がん剤は昨日だけで、あとは入った薬を早く追い出すために、利尿剤を投与するだけ。早く追い出すとはそれだけ危険なものである証明。やっぱり怖い。今日も元気で吐き気や髪の毛が抜けるなどということもない。今日は体が重く、すぐに横になってしまう...先生は仕方ないよと言われる ごはんは何とか○おやつは× 点滴2本、薬3回 37.7kg
28日 

点滴も今日まで。すこぶる順調。東京の方も決めないといけない。一週間ゆっくりして7月から行けるよう手はずをとろう。このまま、抗がん剤を続けるのが良いか、S病院のO先生にファックスで尋ねることにする。体は昨日よりずっと楽になる 食欲○ Hiro2じ5じ2回 資料もってくるいろいろ探していrみたい。どれがいいのか...点滴2本薬3回 37.8


29日 

非常に順調なので、週末は帰っても良いことになった。嬉しいことだけれど、あとの治療のこともあるので早く方針を決めなければならない。家に帰るとファックスが入っており、抗がん治療は即刻中止して来院する由。明日はとりあえず帰ってくることにして、今後のことを手紙に書いてN病院の先生方に渡すことにする。それを決めてから、もう一度病院に向かって、東京に行くこと、抗がん剤を中止することをチャコに言う。自分でもどうするのが良いのかわかっていない様子。それならとにかく言う通りにせぇと言う。帰って手紙を書く。調子が良ければ来週退院できるかも...外来で一日点滴であとは飲み薬でok 発表会も旅行もokです!外泊ok出してくれましたやった〜!


30日 

先生に手紙を渡す必要があったので、朝一番に病院へ。急に来たのでびっくりしていたが、手紙を看護婦さんに渡す。昼頃に母と姉と一緒に帰ってくる。買い物や掃除、洗濯けっこう急に動いたよう。5時過ぎに家に帰る。やはり家で迎えてくれるのは嬉しい。久々にチャコの手料理を食べる。おいしい。本当においしい。この時がずっと続きますように。風呂に入って出てきた顔を見てびっくりした。頬はこけ、目は落ち込んでまさにしゃれこうべを見ているようだった。体の痩せ方もきつい。胸が小さくなったのは仕方がないが、手足の肉、お尻の肉の落ち方がひどい。何とか、体力をつけ、体重を増やしてガンと戦える状態にしなくては。おひる外食、ソーメン、すし。姉、ばあ、お迎え。夕食、作る。買い物姉、まお。少し動きすぎたカナ...37.8kg


7月1日 

ついに7月に入ってしまった。長い長い日々に思える。元気だった日々はもう遠い昔の話。でも今朝は、今までと変わらない普通の朝。チャコに送られ3人とも学校に行く。時間割変更で3時間続けての授業だ。12時頃学校に電話がかかる。母親から、チャコがしんどそうとのこと。抗がん剤の副作用が来たのか、それともガン細胞が活動をはじめて痛むのか。とにかく、みんなほっぽりだして(単語テストのことで4組の生徒も呼んでいたのに河合先生にまた迷惑をかける)家に帰る。中の引き戸を開けて驚いた。台所で放心状態で座り込んでいた。かなり気分が悪そうだ。何度か吐いたようで風呂桶が横にあった。少し落ち着いたところで布団に運ぶ。抱き上げてもやはり軽い。母親がやってきた。ずっと痛そうで吐き気も治まらないので、病院に連れて行ったらどうやと言う。しかし、せっかく帰ってきたのにまた、前回のように帰るのは本人も嫌だろうし、この状態で連れて帰ってもあまり大した治療もないと思い様子を見る。吐き気はなかなか治まらない。胃の中のものがほとんど何もないのに出ようとして、ゴーっという感じの音と共に吐き気が襲う。真依も真緒も帰ってきたのでさぞかしびっくりしただろう。昼食を食べさせてすぐに奥に行かせた。3時ぐらいになってやっと治まった。私が帰ってから吐いたのは3回。これだけで治まったら上々だ。チャコも仕方ないと思っている様子。しかしやはり帰ってきて急に張り切りすぎた。昨日の風呂上がりからもうその兆候は見えていたんだろう。朝、フレンチトースト。11:00ごろから気分が悪い12:00−2:00がピーク。寒い暑い重い吐くのくり返し


 2日 

朝からずっとしんどそーにしている。昨日の状態なら仕方がない非常に不安だ。 7時過ぎに病院へ送る。明日には先生から話もあるだろう。なんとなく城野先生には話しつらかっただけにどう言われるかちょっと心配だ。一日ネル、シンドー!!7:00すぎに帰る


 3日 

学校に電話が入る。S先生からで、東京での治療は了解したということだった。抗がん剤もストップしたので、明日にも退院できるとのこと。やっと一安心だ。昼から病院へ行く。退院について、看護婦さんに伝える。H先生が来られて、抗がん剤をしていないので、ビックリされていた。連絡が行っていない模様。どんな話からそうなったのかは憶えていないが、Oさんの話になった。3月に胃の摘出を行い、5,6月には退院。通いで抗がん剤をしていたこと。2度目の入院で帰らぬ人になったこと。それが秋ぐらいであること。同じガンであるだけに、自分もそうだとわかっているのだろうか。治療A中止。やはり東京へ行くことに。明日退院。Hiro朝、S先生とtel紹介状ももらう


 4日 

30日と同じパターンで退院。家で昼ごはん


 6日 

少し痛い。気持ち悪いのか、痛いのか???結局外へは出れなかった


 9日 

明日東京へ行く。子供たちにはしっかりと体を直し、もう病気にならないためと納得させた。結構あっさり言うことを聞く。


10日 

いよいよ東京出発。昼過ぎに到着すれば良いとのことで、8時41分の新幹線で京都発。東京駅で乗り換え、A駅に12時過ぎ到着。駅の中の食堂で昼ご飯を食べる。タクシーでS病院へ。こじんまりとした病院。しばらく待合で待って診察室へ。院長先生の診察だった。おじいちゃん先生で少し恐そうな感じ。紹介状を出し、簡単な問診のみ。すぐに病室へ行く...がしかし。N病院と違いかなり狭い。ベッドとテレビを置いた棚、ベッドの3分の2ほどの隙間それだけの空間。一部屋に七人。このまま連れて帰ろうか。こんなところに3週間も不安で淋しくて一人でいられるだろうか。努めて明るく、「N病院みたいなわけにはいかんわなー」などと軽口を叩く。チャコも見た目は平気な様子だが、内心はどうだろうか。入院に関する基本的な話を聞いて、ほどなく検査に呼ばれる。一階でレントゲン検査。薄暗い廊下で待つ。気分も落ち込む。部屋に戻って回りの患者さんにも挨拶。若そうな人、年をとっている人さまざま。5時半ごろ夕食。東京だから味付けが濃いのは覚悟していたが、意に反して薄味。ちょっと薄すぎるかも。ホテルのチェックインのこともあり、6時半に病院を出る。地下鉄でI駅へ。駅前を歩いて食事できそうなところを探す。どこももう一つだがあまり歩き回ってもしょうがない。ちょっと奮発して鰻丼を食べる。コンビニで飲み物と明日の朝のパンを買い、ホテルへ。ビジネスホテルだが結構きれいな所。チェックインしてお風呂に入る。さて、いったいどうなることやら。

8:10出発、8:41の新幹線。12時過ぎA駅着。昼食後タクシーで病院へ。レントゲン、点滴一本。飲み薬。なんか疲れた...夕食6:00。Hiroは6:30ごろまでいてくれました。カゼ気味でつかれているみたいでした


11日 

疲れが溜まっているのか朝は少しゆっくりして病院へ向かう。免疫療法についてはまだ何も聞いていないので少し心配だ。昼から先生の説明を受ける。しかし、3週間治療をして1〜2週間は帰れるとのことだったのが、3ヶ月はべったりいて治療を続けなければならないとのこと。これはまったく話が違う。家族で過ごせる時間が持てる上に効き目のありそうな治療が受けられると思ったから来たのに。しかし、このまま帰るわけにもいかない。とりあえず3週間は治療を受けよう。チャコに話をすると同じ意見。免疫療法を一回受けるのは良いが、やはり家族とは離れていたくないとのこと。

夜ホテルに帰ると携帯が鳴る。ちゅんたから電話だった。明日に東京出張とのこと。チャコが入院しているというので見舞いに行きたいということだった。さて、本当のことを言うべきかどうか。また、悩みの種が増えた。人に打ち明けるにはかなりエネルギーが要る。疲れる。

とっても暑い...一人でいれるかナ...免疫療法の説明を受ける。とってもたいへんそう...日数もかかるし...。9月いっぱいがめどだそうです。Hiroはおもいきりなやんでました。点滴

12日 

朝9時には病院へ到着。ちゅんたから電話があった旨を伝えて、どうするか相談。黙っておく訳にもいかないだろうから、見舞いの後で食事でもしながら、言っておくことにする。サンダルやTシャツなど足りない物を買出しに行くことにする。バスの確認もしたかったので、A駅に向かう。結構大きい駅前で色んな店がある。一通り歩き回り、スーパーでサンダルを、ワゴンセールでTシャツを買う。足のサイズは合うものがなく、子供用。お昼ご飯を買い込み、バスで病院へ戻る。ちゅんた来訪。久々の出会い。できれば、こんな形で会いたくなかった。子供のこと、近況などを話す。努めて明るく、楽しく振舞う。それでも何故こんな所に来ているのか、尋常ではないことは察知しているだろう。6時ごろ送りがてら、夕飯を食べに行く。駅近くのファミレス。こちらから話を切り出す。そうしたら、驚いたことにちゅんたは知っていた。江藤さんからドバイにいるリエへ。そして北海道のちゅんたに連絡が行ったらしい。なんと世界を駆け巡って通じるというのは、インターネットの普及した今だからこそのこと。最初は東京出張のついでに脚を伸ばして京都まで来てくれるつもりだったそうだ。ありがたい。やはり親友だ。いずれにせよ、それなら話は早い。とにかくできる限りのことをすること、まだまだあきらめていないことを伝える。言うほうも辛いが、聞く方も辛いと思う。逆の立場なら励ましようもないもの。その後近くの居酒屋で飲む。話題はもっぱら、仕事のことや北海道の話。その方が気が紛れる。来週の火曜日(18日)にも東京へ出張があるとのこと。私は京都に帰っているが、是非お見舞いしてやって楽しい話をしてくれるように頼んで別れる。

Hiroサンダル、服買ってくる。ナント子供服でも入るから悲しい...

ナ、ナ、ナント、ちゅん田君がおみまい。ちょうど出張でこっちへ来ていたそうでひさびさの再会。病名はHiroから言っといてもらうことに。6:00〜7:30ごろまでお話しする。久しぶりでなつかしい...点滴

13日 

朝、病院へ。点滴が終わるのを待って散歩へ。とにかく、今年の夏は暑い。コンビニなどの確認。何か東京は落ち着かない。良く考えてみると、お地蔵さんがない!4時。時間的にもう一杯。帰らなければならない。別れるのが淋しい。このまま会えなくなることはなかろうが、一人で大丈夫だろうか。学校のこと、子供のことみんな放っておいてここにいたい。チャコは気丈にしている。そう、お互い頑張ろう。

 家に帰る。真依も真緒もすこぶる元気。真緒は帰るなり、べたべたくっついてくる。じいと祇園祭に行ったようだが、まだ出店なし。

午前中Hiro。点滴終わって散歩。とっても暑い。ローソン、本屋、パン屋いろいろ。ちょっぴりつかれたかな。4:00Hiro帰る。今日から東京で一人...淋しいナ...がんばってメール入れるぞ...電波の調子がよくない。ファイト

14日 

久しぶりに学校へ。やはり仕事がたまって山のよう。あくせく。真依は朝からひらぱーへ泳ぎに行く。今日から手紙を書くことにする。そうだ!毎日一通書こう。メールもいいけど、手紙の方がぬくもりがある。ヨーロッパに行っていた時の事を思い出す。汚い字だけどちゃんと読んでね。

点滴。今日から一人...PHSあるのでいろいろメールためす。5:30家にtelいないと思っていたらHiroもまおもいてビックリ。まお元気そうです。おフロ。姉からもメール届く

15日 

裏の部屋の改造が始まる。一日で廃材運び出し、裏側はからっぽ。けっこう早く終わりそう。真依・真緒ともにバレエのレッスン。発表会もすぐなので、大変。

尿、血検査。外へ散歩がてら買い物。ムシ暑い。昼すぎtel大丈夫かな...体重計発見!!38kg久しぶりに計る

16日 

真依は浴衣を着て、昼から祇園祭。真緒も昼からじいと行く。真依は夕方疲れ切って帰ってくる。二人の写真をデジカメで撮ってプリンタで印刷したものを送る。

点滴とても暑い、体がだるい。早く家へ帰りたい...絶対帰るぞ〜院長先生の週診、26日のことはOK。しが県の人に声かけられた。姉よりtel。酸化マグネシウム出してもうらう。38.5kg

17日 

テスト返し。連日暑い。真依は昼からクラブ&バレエ。

朝から暑い!点滴、超音波、心電図、昼ヌキ!キカイ、チョー古そう。大丈夫なのか?!姉よりtel。留守電もメールも点滴中で気ずかず。マンションの話しと旅行の話、いろいろ姉にも手紙を出そう。Hiroよりtel、ホットする。38kg

18日 

終業式

検査:レントゲン、点滴。郵便局、散歩。今日から手紙出すぞ!!買い物;水、パン、せんたくバサミ。おフロの日。洗たく、屋上に干す。おひる、姉からtel。屋上でうける。ちゅんた君おみまい。たのしかったです。Hiroにもtel。39kg

19日 

補習開始・面談。今日チャコからやっと手紙届く。3通いっぺんにもらったようで、手紙は毎日わたさんのかい!真依・真緒ともに通知表をもらってくる。まあまあでしょうか。

Hiroよりtel。ちょっぴりおはなし。だるくてねむい。寝不足かナ...あんまり寝れない...

20日 

バレエリハーサル。真依は昼夜両方に出演でかなりハード。朝から晩までってカンジ。義姉と久美子に手伝ってもらうもやはり大変。真依の踊りは随分しっかりしてきた。楽しみ。昼ごろチャコから電話が来る。やはり心配しているよう。早く帰りたいだろうに。しかし、ビデオの調子が悪い。ピントが合わん。買い替えないといけないのかなあ。

合同練習。写真撮。姉、Hiro、みずほママtel。一日忙しかった様子。東京にいてどうしようもない自分がイライラする

21日 

補習・面談。23日には外泊できるよう。二人で泊まれるホテルを探す。あまり遠いのも困るが、池袋に行きたいと行っていたので、そのあたりかな。

検査:血、CT(とっても時間かかる)。Nさん、Hさん、Mさん、Dさん、Oさん、Mさんに、手紙出す。病気のこと告白する。しんどいのか、いたいのか、べつにどってことないのか?買い物:水、パン。姉telみずほママtel

22日 

補習。何をどう間違えたのか渋谷のホテルをとってしまった...まーいいか。とにかく明日が楽しみ。4時ごろ行くと電話を入れる。

検査:尿、CT(頭)。Hiroよりtel。明日、4:00ごろやったね〜!とっても暑い!!!京都はもっとあついらしい。ひえ〜でも帰りたい!!

23日 

真依・真緒を頼んで東京へ出発。夕方3時に病院に到着。11日ぶりに会う。どうやら、元気そう。巣鴨でJRに乗り換えようとしたら、近くにとげぬき地蔵があるのを発見。ぶらぶらと歩いていく。道筋のお寺や商店街に何かホッとしたものを感じながら、地蔵尊へ。熱心に一心にお願いする。どうか治りますように。みたらし団子を食べる。食欲もあるみたい。帰りの商店街でアイスクリームを食べる。JRに乗り換えて渋谷へ。迷いながら何とかホテルに到着。夕飯は遠出もできないので地下のイタリアンレストランへ。久しぶりのデート。これが最後にならなければいいが。少しずつ時間をかけて食べる。楽しい話をしながらだと食が進むよう。食後に少しだけ辺りを歩く。コンビニでジュースなどを買う。ホテルに帰り、抱き合う。少しましになったといってもやはり痩せている。手術の痕が痛々しい。でもこの温もりが嬉しい。絶対に消えませんように。

午前中より外泊OK。何時かな〜→午後おむかえ。4:00出発。ホテルへ。夕食:イタリアン。夜はゆっくりする。ごはんも時間かけるとたべられる。

24日 

朝、ゆっくり起きて、映画を見ることにする。「ミッションインポッシブル2」ハラハラドキドキのアクション映画はあまり良くないかもしれないが、他に特に見たいものもなかった。一作目の方が良かったが、まあまあ満足。昼ごはんは映画を見ながらサンドウィッチで済ます。その後、池袋へサンシャインビルまでは少し遠い。歩きすぎで疲れていないかとても心配だけど、会えた嬉しさのほうが大きいのかとても元気。こっちは心配。ひととおり見てまわってから、汗をかいたので、今日泊まるホテルに先にチェックインしてシャワーを浴びさせる。病院だとお風呂が不便だ。その後、病院へ。夕食は駅近くのファミレスで済ます。夜8時ごろ病院へ。少しいて、ホテルに戻る。明日はいよいよ免疫療法。そして京都に二人で帰れる。

11:00〜えいが。ミッションー2。池袋行って帰る。夕食:ジョナサン。点滴してもらって8:30からグーグー

25日 

朝、病院へ。免疫療法と言っても点滴だから、すること自体は大したことがない。清算を済ませて、様子を見る。幸いなことに副作用らしい症状も熱も出ない。これからの治療をどうするか考えないといけないが、隣の人が横浜Sクリニックの資料を持っておられたので、確認。関西でも受けられるところがある。その場でインターネットで調べる。これなら、いけそうだ。帰ったら早速連絡を取ってみよう。とりあえずの目処が立ったような気がする。この病院ともおさらばだ。何をするにしてもここにはもう来ないだろう。この16日間本当にこれで良かったのだろうか。せっかくやったのだから、少しは効いてほしい。6時に京都着。実家でみんな揃って夕食。

免疫療法→変化なし。午後退院。6:00家。実家でばんごはん。

26日 

少し疲れたけど副作用もなく平気。熱もなし。2ヶ月ぶりに生理が始まる。

27日 

バレエの発表会

姉と久美ちゃんにまかせて、ちょっぴりだけ楽屋入り。帰りはロイヤルホストヘ

28日 

真依は二日連続。Dクラスは忙しい。

まいだけ出演。迎えがてら、作品だけ見る。

30日 

学習合宿に出発。途中合流で、一泊だけにさせてもらう。家を離れるのは大変心配だけど、仕事だから仕方がない。

Hiro1:00出発。合宿に合流だそう。ホントはもっと長かったのかな?

31日 

夜の講習を終えて早めに帰らせてもらう。

Hiro帰る。夕食は×。少し痛み。胃がおもいかんじ

8月

 1日 

吹奏楽コンクール。数ヶ月であれだけ吹けたら立派なものでしょう。

午前中、痛みがありネル。まいクラブ→コンクール(京都会館)なかなか...


 2日 

ポケモンえいが(ちっち、まお、まま)その間まいcutへ。高島屋買い物。


 4日 

夕方買い物。夜、はき気が少し


 5日 

バレエ反省会。むちゃうるさい。


 7日 

胃がおもいのか、痛いのかどうかわからない。カミナリ大雨。


 8日 

ヒルネする。体少しらくになる。夜中、ずーっと吐き気。朝方まで続く。Hiroはあんまり寝てない


 9日 

一日クターとなる。夜寝てない分ネル。


10日 

姉メールtel、くすり頼む。北海道計画立てる!!あまりわからん!!


11日 

Hiro横浜→神戸の病院で治療。月一回割合で続ける。通院でOK。エビスク買い物。往復タクシーです。


12日 

お墓まいり。夜しんどい。


13日 

タンスの整理。気分は少しまし。でもすぐ疲れる...夜痛みがおさまらず一、二時間ごとに目がさめる


14日 

一日ダウン。夕食は少し食べれる(まい作る)ビデオカメラ購入!!


15日 

少しおきてみる。でもだるい。


16日 

明日から北海道旅行。準備も整う。しかし、ここ数日調子が悪くとても心配。とりあえずN病院に行って点滴を打ち、薬をもらう。少しはましになったか。ちょうど大文字の日。みんなで自転車に乗って正面橋まで行く。〈自転車に乗るのも久しぶりだろう。何とか乗れてる。〉けっこう人が多い。病気が治りますように。来年も大文字が見れますように。橋を渡って川端を五条の方に行く。五条大橋からはあまり良く見えなかった。そのまま帰宅。早めに寝る。用意!!