24日 

本日は免疫療法の日。だけど、朝から調子が悪く、なかなか痛みが治まらない。10時半出発を30分遅らせて、11時過ぎに出発。名神・中国自動車道を経て山陽自動車道へ。車中も少し痛そうで、眠っている様子。12時過ぎには無事病院へ到着。こじんまりとした病院で周りは自然が多い。まだ時間があったので先に昼食をして、1時半に病院へ戻る。雰囲気も清潔そうで安心感がある。受付を済まして少し待って診察室へ入る。先生からのお話はまず免疫治療について。これに関しては今までも聞いていたことなので納得できたが、親切にきちんと説明してもらえた。

その後も話は続く。何のことかと思っていたら、水の話だ。酸性の水を取っているために万病の元である活性酸素がなくならず、病気の原因になる。それを中和しないとどんな免疫治療も効かない。だから、まず水を替え、活性酸素を追い出しなさい。また、医者が余命を伝えるなどおこがましい。明日もわからぬ我が身なんだから、今日一日をしっかりと生きなさい。前向きにものを考えることが重要だ。という話を延々1時間半も聞かせてもらった。少し安心と、勇気をもらった。肩の力が抜けた気もした。その後の診察は簡単な触診で、薬の投与となった。注射だったのですぐに終わる。それを待っているあいだも同じガンの患者さんが待っておられた。どうやらかなり有名な先生のようだ。偶然とはいえ、この先生に巡り会えたことは幸運だったかもしれない。とにかく水についてはすぐに機械を手配した。活性酸素がなくなることで、免疫力が上がれば、ガンの進行も遅らせることができる。そう信じたい。

帰路は随分気持ちも晴れやかであった。しかし、家に着いてから、また痛がり始めた。今度はかなり痛むらしい。水の機械も29日にならないと入らない。薬の副作用だろうか、いやそんなことはないはずだ。

朝、気分悪い。吐く。


25日 

前日からの痛みは止まらない。終日痛そう。生理中だからそれが原因かも知れない。


26日 

まだ続いている。心配だ。真依がクラブの合宿に出発。昼からは真緒のバレエのレッスンだ。2度ほど嘔吐をして、少し治まった様子。バレエには付いていったが、調子は戻ってきたみたいである。


27日 

随分良くなった。1時半に真依の合宿地へコンサートを聴きに出発。湖西道路を通り、今津へ。早く着きそうなので、琵琶湖に寄って水遊び。真緒は裸で琵琶湖に浸かった。ご満悦の様子。現地に5時到着。まだまだ暑い。調子はまあまあ。K先生に差し入れのシュークリームを渡す。校長も来ていた。コンサートはなかなかのもの。真依もちゃんと吹いていた。短い間にあんなに覚えられるものだろうか。ちょっと関心。その後夕食をいただく。帰りもスムーズなドライブで10時に帰着。さすがに疲れた様子で少し痛みも出る。


28日 

実家のお地蔵さん。11時に送っていったが、調子はまずます。12時には迎えに行き、買い物をして戻る。夕方に少しだるそう。


29日 

痛みは断続的に続く。こちらのお地蔵さんは明日にした。一応町内に連絡を封書で回す。


30日 

痛い状況はずっと続く。お地蔵さんのお参りもちょっと出てきて引っ込んでしまった。少し調子が良くなったので、散歩に出る。正面から鴨川へ五条を回って厚生会で買い物をして帰るが、やはり痛みはある。


31日 

夏休み最終日。10時過ぎに学校へ行く。昼食を買って帰る予定が会議が延びたので家に連絡を入れるが調子はあまり良くない。明日は金曜日でT先生の診察日。経過報告を兼ねて行ってみようかとも思って、学校のS先生にもしもの時の明日を頼む。その際に親戚の方がスキルスでなくなった話を聞く。ホスピスに入って一週間ほどでなくなった由。発病からも2ヶ月程度。やはり、助かる見込みはないのか。何も買わずに1時半に帰る。N病院に行くことを言ったが、チャコは行く気がない様子。痛みも少し治まったので、取りやめにする。

9月

 1日 

始業式。海外研修組からはおみやげをたくさんもらった。状況は変わらず。


 2日 

到達度テスト。今日は少しましか。夕方、真緒のバレエについていき、買い物もする。


 3日 

一日寝ている。この調子だとやはり治療が効いてないのか。別の治療を追加すべきか、迷いが出る。本当に何をするのが一番なのか。誰か答えを教えてくれないだろうか。


 4日 

痛みがひどい。便が出ていない。嘔吐する。夜にリエから電話があった。ドバイからわざわざ電話をかけてくれた。思わず涙があふれてくる。治療についての情報を教えてくれる由。メールで送ってくれるように言う。チャコに替わる。少し元気が出たか。


 5日 

今日も変わらず。便が出ない。閉塞が進んでいるのか。メール到着。プロポリスに関することだった。アガリクスに追加して使うべきだろうか。迷うところだ。少し考えることにする。


 6日 

やはり調子は良くないし、便も出ていない。食事をして学校へ。


 7日 

真依の誕生日。便は相変わらず出ず、しんどい様子。学校の帰りに真依のプレゼントのことで電話を入れる。便が出たとのこと。良かった。声も心なしか元気なもの。ほっとして涙が出てきた。嬉しくて泣きながら自転車を走らせ、近鉄に行く。ケーキを買って帰る。しかし、お腹の痛みは続いていた。心が曇る。ささやかに真依の誕生日。4人で祝う最後の誕生日かも知れない。真依は友達にもらったプレゼントを披露。真緒は自分が主役ではないので膨れている。


 8日 

状況変わらず。笑うこともほとんどなく、真緒のわがままについ、イライラして怒ってしまう始末。これじゃ免疫力も上がらないのでは。


 9日 

少しましか。でも真緒のバレエにもついていかなかった。夕食は結局泉仙のお弁当。


10日 

夜になってましも、結局一週間ほとんど食べていない状態が続く。元気がない。しんどいのもわかるが(いや、やはり本当のしんどさなんてわかれないんだろう)もうちょっと頑張ってほしい気がする。こちらがイライラする。やはり、本当のことを言ってその上で頑張った方が良いんだろうか。迷うところだ。逆にショックで病状が悪化することを考えると躊躇する。どれだけのことがわかっているのか、どうにもわからない。今日も夕食は弁当。(ほか弁)


11日 

学校からK病院(免疫治療)に電話をして病状を伝えると、すぐに入院しなさいとのこと。血の気が引く。医者の一言一言は結構胸に突き刺さる。チャコはでも、入院しないだろうなあ。とにかく明日N病院に行き、栄養剤の点滴をしてもらおう。

Mさんから携帯の留守電に電話が入っていたので、家に電話する。2回かけても出ない。心配になる。3回目に割と明るい声で応答あり。ちょっと安心。Nさんとおしゃべりをしていたようで、少しは気が紛れただろう。夕食は手料理。さすが、わが妻、料理はうまい。学園祭の準備も佳境。結局昨日も遅くまでやっていた。しかし、そのおかげで今日からドミノは立てられる。


12日 

火曜日なので外科ではなく、消化器科へ。S先生はちょっと苦手だ。T先生に連絡をしてもらう。簡単な問診をして点滴をする。本来は手術後なので外科の担当だそうだが、消化器で診ても良いとのこと。ただ、S先生と相談してもらってからということなので、明日もう一度、外科で診察を受けることになる。点滴をしてもあまり状況は変わらない様子。学園祭の準備も気になるので学校に行く。作業は順調だが準備にかかる人数はちょっと少な目か。


13日 

朝から外科へ。昨日の状況を説明すると、どちらで治療を行っても良いということだったので、こちらとしてはどちらでも信頼できる先生なのでおまかせしますと答える。点滴の間、相談されたようで、結局消化器で診てもらうことになる。S先生もどうも免疫のことをやかましく言うので嫌だったのかもしれない。家に送り届けて学校へ。今日明日で立てないといけないが、何とか目処はたちそう。


14日 

朝からN病院へ。消化器で受付をしようとしたが、画面に出てこない。そのまま2階へ。消化器の受付でその旨を伝え、待つ。今日は点滴だけのはずなのに、なかなか呼ばれない。かなり待たされて別の先生の診察があり、やっと点滴へ。後から訊くとこの2日間の点滴が少し違っていて何をすればよいか分からなかったとのこと。結局、昼過ぎになってしまってチャコもかなり疲れた様子。明日から三日間は救急で点滴してもらうことに手配してもらう。その後学校へ。最後の所でちんたらちんたらして進まない。こちらも早く帰りたいのに。でも今日までは出来るだけ生徒を優先に。

7時半に無理に終わらせる。残りは少しなのだが、実行委員の中にクラブ員が多く、明日どれだけが手伝えるかちょっと心配だ。とりあえず、この2日は遅くなったので、ラーメンでもおごってやるか。


15日 

学園祭当日。チャコは一人で病院へ行かす。学校を休んでばかりもいられないので仕方がない。準備は順調で何とか1時過ぎには始められそう。しかしながら、ほんの数分前にみんなの写真の部分が倒れるアクシデント。みんなで焦りまくり、何とか立て直す。そして、1時半過ぎ、本番。かなりのスピードで倒れていく。ビデオでは追いつけない。途中支線の2,3カ所が止まるアクシデントはあったものの本線は順調に倒れていったが、階段を上り、滑り台で下ったところで本線ストップ。ため息が会場に広がったがその後は順調で、3年生にバトンタッチ。こちらはかなりあちこちで止まっていたが、なかなかの盛り上がりだった。後片づけもみんなでかかって結構早く終わる。3時半には家路に着いたが状態は変わらず。


16日 

朝から学校へ。今日も一人で行ってもらう。


17日 

日曜日なので病院へ連れていく。


18日 

代休で学校は休み。この日も病院へ。


19日 

何もできない。痛みは続く。吐き気の方が強くなって、水を飲んでも吐いてしまう。水分が足りないんだから、吐いても飲めと言うんだけどそれも辛いよう。眠れない日もある。うかつにもこっちはうとうとと寝てしまう。こっちのことを気遣って痛くても吐き気が強くても声に出していない気がする。もっと甘えれば良いんだよ。大きな声で痛い痛い!助けて!ってわめけばいいのに。


22日 

起きて見た寝顔にショックで、涙が溢れてきた。アフリカで飢餓に喘いでいる子供と同じほどやせ細って疲れ切った顔に見えた。もう2週間近くも何も食べていないのと同じだ。


23日 

休みの日。病院へ送っていく。しんどそうなのは相変わらす。このままでは衰弱死してしまいそう。入院して高カロリーの点滴をすることも考えないといけない。


24日 

明日は免疫治療の日。これが終われば、入院することにしよう。チャコとも相談してみる。


25日 

神戸へ。道中やはりしんどそう。ほとんど話をしない。K先生からも入院する方が良いと言われる。薬の注射といつもの点滴もしてもらう。薬を入れてもらうとちょっとしゃきっとするようで、しゃべり始めた。野外でちょっと休んで見ようかと言うと、パンを買って、私も少し食べるという。ちょっと元気になったよう。グリーンピア三木へ。中にはいるとお金がいるので、入口近くに車を止め、車中で食事。僕は真依が今朝作ったお弁当。30分ほど休んで、行きしなに見た千体地蔵を見に行く。大きなお寺でお地蔵さんが安置されているのかと思いきや、岩肌に大小多くの地蔵が上から下まで無造作に並べられていた。なかなかちょっとした光景で来たかいがあった。きっと良いことがある。その後の帰りは黙ったままだった。やはりしんどさは変わりない。一時の楽しい時間だった。


26日 

明日はみんなとお茶会なんだから、明後日から入院になるようにT先生には話をするようにと言っていたが、入院の話をしたとたん、このまま(つまり今日)でも入院したらと言われたよう。とりあえず、今日は外して明日入院することにした。もう一日は時間があると思っていただけに心の準備が出来ていない。それにお茶会の約束を止めたのは何とも残念。たとえ、やっていたとしても楽しく時間を過ごせたかは疑問だけれど。T先生入院お願いします。日赤たのむ。明日から。


27日 

入院は妹に任せる。旧館で場所はわかりにくかったが、思ったほど汚くはないし、西向きで西山が遠くに望め、眺めはよい。調子は相変わらずだ。今日はレントゲンを撮り、動脈から栄養を入れるために管を通してもらいに行く。待っていても仕方ないのでその時点で帰る。実家で夕食を食べ、家に帰る。また、3人の生活が始まった。N病院入院。くみちゃん付添いできてもらう。西523 3F。古い...点滴2本。とってもしんどい。ごはん抜き。


28日 

朝に水を届ける。体育祭の準備のため5限で終了。病院へ。脱水症状が強く、血管が収縮していて管が入らなかった。今までの点滴2本で栄養が摂れるのだろうか。T先生と話をしたが、お腹にあるガンのために胃腸が癒着して動きが悪くなっているそうだ。やはりガンのせいか(当たり前か)。術後のことであってくれと願ったが無駄だった。医者の一言は大きい。お風呂を洗ってると急に感情が高ぶり、大泣きしてしまった。気持ちはコントロールしてるつもりだけど、悪い症状を聞かされると絶望感を持ってしまう。点滴2本。ごはん抜


29日 

どうしようか迷っていたが、りえの薦めで、プロボリス、かつりを頼むことにする。電話をしてみたが自然食品屋のおやっさんという感じ。あまり頼りがいはないが商品は頼むことにする。体育祭の間を縫って水を病院に届ける。体育祭はそれぞれが一生懸命頑張ってくれた。クラス対抗は何とか決勝進出。大縄跳びは練習の成果もあり2位!2人3脚でも全組み頑張り3,2,2位。総合は5位だった。まあまあかな。

昼から食事出る。あまり食べられず。昼間は調子良かったけど夜中はダメ...何回も吐いて薬してもらう。下剤かける。おなかいたい!


30日 

午前中授業をして病院へ。

雨...一日気分悪い。はきけ止、痛み止してやっとまし。少しねる。えとう、おぴぴ、まおおみまい。せんたくしてもらう。


10月

 1日 

前日からの雨は止んだが、下は濡れている。真緒の運動会はあるのだろうか。朝から真依が弁当を作ってくれる。こと料理を作ることについては頼りがいがある。おねえはそのままクラブへ。高校のグランドと違い、水はけは良い。十分できる状態だ。9時にチャコが病院から到着。ダンスと○○を見るが、天気も良くなり暑くなってきて日陰にしゃがみこんだ。50m走までもたずに、家に帰る(歩いて帰ったが大丈夫か?)ダンスはさすがバレエをやっているだけあってお手のもの。しかし、走りはやっぱり駄目。大玉転がしはついていくだけ。午前の部が終わり家に帰る。やはりしんどそうに寝ている。午後の部に出かける。真緒の登場はひとつだけ。障害物競走。平均台で他の子に道を譲り、その上平均台を優雅に歩いていては勝てません。結果ビリ。2時前には帰宅。見ていない競技のビデオを見せ、タクシーで病院に帰らせる。


 2日 

真緒は休み。実家に送って学校へ。


 4日 

朝からホスピスY病院に電話を入れる。対応に出てくれた女性が非常に親切で、親身に応対してくれる。病状のこと病院のことこちらの意を十分にわきまえた対応に思わず涙が込み上げる。この病気でいろいろな人と出会ってきたが、担当の医者は別にしてこちらが大きく心を動かされたのは二人目だ。

11時半頃に病院へ。しばらくして管を入れに行く。無事に入ってくれよ...。

駄目だった。またも失敗。血管は収縮したまま。脱水状態も改善されていないのか。水分、栄養補給のため点滴を一日3本にする。3時に学校へ戻り、終礼をした後、Y病院へ。病院というよりは豪華な保養施設のような感じで、こじんまりとして静かなところだ。入り口を入るとホテル並みのたたずまい。とても病院には見えない。受付で名前を告げるとすぐに応対してくれた。おそらく電話でしゃべった人だと思うが、若い女性である。2階で院長のK先生と話をする。今までの状況を伝え、病院の方針などを聞く。受けた印象はもう少し日赤でできる治療(管を入れるなど)を続けるほうが良いのではという感じだ。しかしながらここに入院するしないにかかわらず、いつでも相談してくださいという言葉には安心感を持ち、信頼できる先生だと思う。私見だがということで、やはり本人にはっきりと本当のことを言うべきではないかとおっしゃる。その後、施設を案内してもらう。病室やナースステーション、くつろげる空間に食堂、お風呂どれも新しくきれいですばらしいものだった。こちらの方に移ってきても良いのではという気持ちも強くなる。


 5日 

授業を終えて病院へ。吐き気がひどく、あまりにも衰弱した状態に思わず涙がこぼれる。一人で寂しいね。ここだと夜も付けないからね。背中をさすってやる。背骨は飛び出し、背中のあばら骨が全部分かる。本当に痩せてしまったね。明日は朝から来るからね。出来るだけ付いていてやりたい。


 6日 

午前中、学校を休んで病院へ行く。しんどいのには変わりがないが、誰かがいると安心できる様子。南座へ歌舞伎を見に行く日だったのに、それどころではない。午後の授業に出て、病院へ戻る。T先生と江藤さんが来ていた。T先生によると腸の閉塞で胆汁が出ているとのこと。、管を大腿から入れることも聞いたが、濃い点滴や点滴を追加することで余計に腸に水分が流れ、吐き気が激しくなるとのこと。結局N病院だから望んでいたことはこれで何もできなくなってしまった。それなら、ここにいてもあまり意味がない。夜寂しい思いをさせるだけだ。江藤さんとホスピスのこと、蓮見ワクチンのことなど話をする。T先生には蓮見ワクチンのための診断書を頼む。


 7日 

午前中の授業を終え、病院へ。すでに義姉は来ている。今日は比較的良い方か寝ている。夕べは眠れていない様子。ホスピスの話をして、早いうちに動かす方が良いとの話に。基本的に二人で分け合って泊まることにする。やはり夜ほっておくのはかわいそう。ばあと真緒も来る。真緒の食べる音や態度、ハイチュウの匂いに神経質に怒る。精神的にも安定していない。それはそうだろう、もう一ヶ月余りも続く吐き気と闘っているのだから。早めに病院を出て家に帰る。5時半からは真依の定期演奏会が始まる。しっかりビデオを撮っておかねば。座る場所をK先生にとっておいてもらい、ビデオ撮影。たった半年であれだけうまくなるものか。なかなか良い出来栄えだった。友達が泊まりに来る。4人でケーキを食べる。


 8日 

雨が降りそうな天気。真依の体育祭はあるだろうか。今から降っても明日はできないから、やってしまうだろう。10時前に学校着。さすがに中学の運動会。保護者がやたらと多い。障害物競走は案の定ビリ。その後は組競争は1位。応援団に大縄跳び、リレーと大活躍。リレーも一人に抜かれたものの200mを走りきった。2時半頃、真緒を実家に預け、病院へ。行ったときに吐いたが、その後は落ち着いてビデオを見ていた。途中で眠くなり、しばし眠る。5時前にもう一度吐いたが今日は比較的落ち着いている。姉さん、由布・たいが来院した模様。さぞかし皆びっくりしただろう。


 9日 

朝から家のもろもろを片付け、11時過ぎに病院へ。天気予報では午後から天気が良くなるとのこと。今から病院に車を預けると高くつくので、真依・真緒を病院で下ろし、学校へ車を置きに行く。チャコはかなりしんどい様子。ビデオも見たがらない。雨がかなり激しく降り出して食事にも行けない。真緒はお腹がすいたとうるさい。1時ごろ小降りを見て外へ。ほとんど止んでいたので、東福寺駅まで行き、ざるうどん(真緒)、うどん定食(真依)、すし定食を食べる。二人はそのまま三条で定期を買って帰るべく電車に乗る。病院へ行こうとしたら雨がまた降ってきたので、学校に戻り車に乗って病院へ。その後どうもおかしい。急に「ガスがついているからきっといて」と言ったり、「電話の音がする」と言ったり。耳鳴りがするとは前から言っていたが、今日の状況はどうもおかしい。手足、特に手をぴくぴく動かすこともここ数日気になる。


10日 

朝から蓮見ワクチンを取りに東京へ出発。中央線に乗り換えて阿佐ヶ谷駅へ。閑静な住宅街を歩いていく。探しながらで近い割にはなかなか見つからない。とにかく早くもらって帰りたい気持ちが強い。大変美しい建物で驚く、中に入り申し込み用紙に記入し、紹介状を添えて受付に出す。ほどなく、医者の問診。こちらの状況を伝える。その後看護婦さんから薬の説明を聞くが、何せ状態が状態だけに、自分の尿から生成するワクチンに関してはもう少し様子を見た方がいいだろうと言われる。ワクチンをもらうと早々に帰路に着く。

京都に帰り、急いで病院へ。ワクチンを先生に渡し、説明し、Y病院のことも話す。一度、向こうの先生とお話していただける由。12日は結婚記念日。色んな話をたくさんしたい。聞きたいこともある。やはり、調子は良くない。心配だ。


11日 

心配は尽きないが、学校に行って仕事をする。2時ごろ病院へ向かう。病室の前まで行ったら、おぴぴが嘔吐した入れ物を持って出てきた。血で真っ赤に染まった嘔吐物。血の気が引く。病室に飛んで入ったが、やはりしんどそう。出血に対する処置はしてもらったようだが、その後もかなり血の混じった嘔吐。量的にはいつもと変わりないが、いったいどれほどの血の量なのか見当がつかず、不安になる。ワクチンは今朝投与してもらったよう。先生に説明をしてもらい、今の状態では病院を移るのは良くないことを聞かされる。それなら、せめて新館へ移れないかを確認してもらうと同時に付き添いで泊まれないかを尋ねる。付き添いの方はすぐでも良いとのことで早速今晩泊めてもらう手続きをとる。病室に帰り、ちゃこに今晩泊まれるで、と言うと、大きく、本当に大きく目を見開き、驚いた様子で、「本当に泊まれんの?」と嬉しそうに言った。おぴぴに見てもらい、泊まりの準備をするために一旦家に帰る。そうだ、結婚式の写真を持っていこう。それを見ながら、明日話をしよう。実家に寄って段取りをつける。夕食を食べていくように言われたが、それももどかしく、食べずに出る。とても焦っていた。虫の知らせだったのか。夕食を買い込んで、8時ごろ病院へ。おぴぴも泊まろうかどうしようか迷っていたが、今晩は二人きりにしてあげるわ、と言って帰ることにする。病室の外まで見送りに行って少し立ち話をしていたら、涙がこみ上げてきて二人で泣いた。できるだけ一緒にいてあげようと話した。病室に戻る。手足がとても冷たい。冷や汗をかいて呼吸も荒い。手を温めてあげようと手を上に置くと、その重さが嫌で、しんどそうに振り払う。なんとなく、悲しい。何もしてあげられないのが、つらい。時々、汗を拭いてやる。

11時過ぎに何か言っている。何?おしっこ。そうか。でももう立ち上がる体力もない。看護婦さんを呼んでいるあいだに、おしっこがでてしまった。あーあ、しょうがないなあ、と子供を見るように見ていたが、着替えてシーツを換えた後の様子がおかしい。看護婦さんがあわてて心電図をつける。呼吸が乱れている。「あのー家族を呼んだほうがいいですか」「そうしてください」まさか。まさか。時計が12時を回った。


12日 

ひーっ、ひーっと引きつるような声。その後、急に静かになる。ちゃこ、ちゃこ!

12時12分。僕は勝手にそう思っている。医者も間に合わず、家族も誰ひとり間に合わず、ひとり看取った。結婚記念日を待つかのように息を引き取った。ひろ、あなただけで十分。そう言いたげだった。医者の確認は12時36分。雅子永眠。享年39歳。

ありがとう。ほんとうに幸せな18年間を。