あきらめない!
2000年
今年に入っていつ頃からか胃が思いと言い始める。この時点で気がついていれば。
(後悔はすまい)
4月
23日 一日気分悪い→夜吐く
24日 胃が気持ち悪い→夜吐く
25日 すこしましカナ....
5月 当初より胃の痛みがひどくなる。
5日 2日連続で夜中に嘔吐しあまりにひどいので病院に行くように言う。
胃が×夜吐く
6日 T医院にて受診。やはりおかしいようで、8日に胃カメラを飲むことに。
8日
当初、胃カメラであったがカメラが入らないことも考えられるので、バリウムを飲むことに。しかし、結果が思わしくないらしく、再度11日に胃カメラを飲むようにとの指示。その夜、「メディファイル」にて胃ガンの項目を読んでみる。単なる胃ガンなら治りやすそうだ。スキルス胃ガンのコラムが目につく。この時はまだひとごとだった。
イヤな予感もし、3日間もこの状態で待つのは耐えられなかったので、明日、N病院に行くように言う。どうせ、T医院で胃カメラを飲んでもまたN病院で飲まないといけないのはつらいだろうから。夜具合悪くいたい
9日
N病院にて受診。2時限目終了後、来院。11時頃胃カメラを飲む。診察は13時頃。胃の出口が狭くなっているとのこと。手術を緊急にすべきだとのこと。これで一安心と思ったのも束の間、私だけが入院手続きの説明と言って呼ばれた後、「スキルス」の4文字。血の気が引いた。チャコにどう言えばいいのか。本当のことを言うのか止めるのか。とにかく入院は早い方が良い。明後日の11日に予約を取って帰る。
のどがからからだ。心臓の動悸が速い。チャコに気付かれているのか。
ちょっと気を許せば嗚咽が出そうになる。つらい。
T医院にN病院の手紙を届ける。見込みがありそうか話を聞くがやはり良い返事は帰ってこない。胃カメラを見るとやはりかなり進行しているそうだ。
もう一度、家にて「メディファイル」開く。
スキルス胃ガン・・・(略)反対に、あっという間に進行したり転移するタイプのガンもあります。スキルス胃ガンはその最たるもので、しこりを作らないで胃全体にはびこるように、また胃壁に細かく潜り込むような形で広がります。発見されたときは手遅れというケースも珍しくありません。(略)手術などの治療で刺激することで狂暴化することもあり、効果的な治療法はまだ確立されていません。
号泣してしまった。
ホームページでスキルス胃ガンを調べてみる。ガンの本も多く出ているようだ。明日本屋に行こう。
残された時間を有意義に使おう。家族で一杯想い出を作ろうと思う。
背中をさすった。手を握って寝た。チャコはどう思っているのか。
10日
朝から学校へ行ったが、ホームルームも授業もあまり手につかない。HR合宿が来週からあり、準備をしなければならないが、合宿にも行けないだろう。キャンプファイヤーが気がかりだ。(勇気と気力を出して、ちょっと振り付けソングをやってみるが、やっぱり高校生には受けないか・・・)3限目に校長・副校長に入院する旨を伝え、HR合宿を欠席させてもらうように、話をした。その後、S・W先生にも了解を取る。N先生が代わりをつとめてくれる由。
何故かご飯を食べると涙が出てくる。これが最後の愛妻弁当だろうか。
昼から本屋に向かう。ガン関係の本から、民間療法の「特効薬」(?)の本を3冊買う。学校で読む。引かれたのが「アガリクス」というブラジル産のキノコ。効果はかなりのようで少し希望が見えたか。早速、本に書いてあった所へ電話。送ってもらうようにしたが1週間かかる由。できるだけ早くと言って電話を切る。
きちんとした状況がわかってから生徒には伝えるつもりだったが迷惑をかけるので終礼にてHR合宿に行けない旨を話す。涙でちょっと詰まってしまった。
アガリクスが到着するまで、タヒボでも飲んでもらおうと母に連絡。しかし、もしかして近くで買えるかもしれないと思い、インターネットもう一度調べてみると大手筋商店街に店があるようだ。早速明日行こう。
今日は抱き合って寝た。自分の病気を察知しているのだろうか。もし、そうだとしたら、気丈だ。
11日
いよいよ入院。朝、真緒を起こし、真緒が甘える姿を見たら泣けてきた。
9時半に病院に到着。しかし、迎えが1時間も来ずに疲れてしまった。
B棟640号室。大部屋(といっても4人)が空いており、そこに入る。どこもかしこも前回とは雲泥の差できれいだ。スペースもゆったり取ってありB棟の6階部分だけに食堂兼談話室もある。
ガンの人ばかりなのかと思ったが女性用の階で症状は色々だった。担当看護婦のOさんは可愛いくて、愛想の良い人で一安心。胃ガンであることをまったく見せないので知らないのかと思ったら、やっぱり知っていた(当たり前か)。先生は夕方まで手が放せないようで仕方なく、昼前までいて、アガリクスを買いに出る。大手筋に着いたが、店が見つからない。昼食(親子丼)を食べて(何故かしらまた涙が出そうになる)、単行本を買ってから、電話をしてみる。誰も出ない。交番で聞いてもわからない。商店街を2往復した。店はつぶれたのか。がっくりしたが、手ぶらで帰るのも何のために来たのかわからないので、駅の近くの薬局に入ってみる。勇気を出して聞いてみるととりあえず、あった。一つは乾燥の中国産5100円也。もう一つは抽出した顆粒タイプ48000円也。高い。とりあえず乾燥ものを買ったが、顆粒タイプは今までのものより吸収力がアップした由。売り文句だったかもしれないが、こんな所でケチっていても仕方がない。高い方を買って一度家に帰る。
帰ると絨毯の張り直しの最中だった。お礼を言ってカン入りのお茶を渡す。
枕(チャコの希望。病院の枕は堅い)を持ってすぐに病院に向かう。
病院へ着くとCTの検査中とのこと。食堂でしばらく待つ。ほどなく帰ってきたが、CTは取れなかったとのこと。造影剤を入れての撮影で食事をしていては検査ができないようである。病室に戻り、しばらくすると担当の先生がいらっしゃった。若そうな医者でT先生という。親しみが持て信頼できそうだ。もう一人女の先生も来られた。この方はM先生で優しそうである。二人の先生が担当というのは病状のせいだろうか。検査もあまりできていないので挨拶だけで引きあげられた。目は何か不安はありませんかと問いかけるような様子だったが後は追わなかった。(今聞いてもあまり仕方がないだろう)チャコが席を外している間にM先生が戻ってこられた。二言三言、言葉を交わすが、お気の毒にというような印象を持って不安になる。やはり延命は無理なのか。
5時の夕食までいて、アガリクス顆粒を渡して帰る。栄養剤だから精をつけるために絶対に飲めと言ったが果たしてちゃんと飲んでくれるだろうか。
家に帰り、実家にご飯を食べに行く。(私の)父母妹と6人でいると、気が紛れる。ひょっとしたらずっとこういう食事風景になるのだろうか。一人足りない。
食事後、家に帰る。何だかんだ片づけをして、風呂に入り、インターネットで情報を探す。「スキルス胃ガン」で検索。手記を見つける。ある人の友達がスキルス胃ガンで亡くなった話。「あの若さで...」「あんなに元気だったのに...」「発病して2ヶ月で...」2ヶ月。頭が真っ白になる。短すぎる。布団を敷く時にチャコのパジャマを見つける。そっと匂いをかぐ。思わず嗚咽が漏れた。真緒の横で寝る。
夜中に電話が鳴った。国際電話でFAXなどが来るので日常的なことだが、何かあったのかと思う。死まで2ヶ月なら何があってもおかしくない。この状態じゃ死に目にも会えないのか。これは悔やみきれない。そう思うと寝られなくなってしまった。
12日
朝から学校に行く。いつも通り一日休むと仕事が増える。机の上にはいろんな書類。今日は保護者総会の日。昼からはN病院へ行くつもりなので午後の学級懇談はS先生にお願いする。HR合宿の準備もしなければならない。行けないだけに気が重い。SHRでは伝達事項で精一杯。生徒が言わねばならないことを一杯言ってくれる。担任としては何となく嬉しい。キャンプファイヤーのことがやはり一番気がかりだ。きえに係は3限終了後集まるように言ってもらう。もう1時間目のベルが鳴っている。職員室に戻り、あわてて授業に行く。2組グラマー。淡々と授業を始める。文の種類は比較的簡単なところ。今日は授業参観だ。ふと、余命わずかで、やりたいことを聞いて、私の仕事している姿を見たい(つまりは授業参観したい)と言ったら...と考えたら、涙が出そうになる。多分授業にならんだろうな。授業が終わって金田が奥さんによろしくと言ってくれた。
2時間目。雑用で追いまくられる。特にHR合宿の栞。クラスごとに作るって!聞いてへんゾ!俺には無理やゾ!と言いながら、2・3・5・6組で一緒に作ることに(というか作ってもらうんですが)。一安心。
今日はおそらくガンであることを告知しなければならない。見舞いが多そうなので、すべて断る。話している時やチャコが動揺している時に来られても困るからだ。子供たちにも遠慮してもらった。
3限目。1組リーダー。参観のお母さんが3人。レッスン5であったが、みんな予習をしていて実にスムーズに授業が進む。やはり、教えていると気が紛れる。少し元気になったか。
終礼をして掃除は任せ、キャンプファイヤーの話を職員室で少しする。(きえと真喜子)結構二人ともやる気満々だ。
保護者会役員を決めるために教室に戻る。7名の出席で入学式に出てもらった方ですんなり決まる。午後は失礼する旨を伝えた。
職員室で委員が続きをやっていた。N先生に来てもらい後をお願いする。
その後病院へ。しかし、検査の結果、まだはっきりしたことがわからない。CTでは他に転移したものが見られないようだが、お腹に水が溜まっているのと卵巣が少し腫れているということで、来週婦人科の診察待ちとなった。とりあえず、よい結果のようで気持ちが晴れやかになる。来週まで何もすることがないので帰宅許可が出た。明日帰ってくる。
3時少し過ぎた頃で、まだ学級懇談に間に合うので学校に戻る。4時過ぎに終わり、職員室へ。懇談の報告をS先生にしていたら、みんなが千羽鶴を作っていることを聞いてしまった。(聞かなければ良かったのに)まだ、みんな準備をしているようなので居場所を探す。N先生に聞くとあわてて、ちょっと待っていて下さいと私を制止して、選択教室に急いだ。何のことかと思って後を追ったら、みんなで鶴を折っていたのだ。気が付かないふりをして、キャンプファイヤーの話をする。みんな明るく、一生懸命だ。とても、嬉しい。前向きに考えられる。ありがとう。
13日
朝からまず病院へ迎えに行く。正面入口にいたのに、救急入口で待っていた。そうだっけ。真緒も喜んでいる。家へ連れて帰り、そのまま学校へ。2時限目のX−Rに間に合った。HR合宿の準備でばたばたしながら、終礼へ。栞を配り、説明しようとすると直太や治が廊下にいた。中に入るように言いに行くと千羽鶴を持って待っていた。ビックリしたし、嬉しかった。説明の後で千羽鶴、花束と寄せ書きを受け取って、千羽鶴に最後の一つを付けた。涙は出なかった。前もって聞いていたからか。いや、それよりも昨日からみんなが一生懸命やっているのに勇気をもらったからだろう。転移が見られなかったというのも相まって嬉しかったからだろう。その後歌集作りにとりかかる。かなり量が多くて時間がかかる。2時近くになっていたのでその時点で先に帰ることにする。
「元気の出るもん、やろう」と言って、千羽鶴を渡す。嗚咽に近い涙が出た。「短い間にようここまでやってくれたね。」思わずつられてこちらも涙声になる。ひょっとしたら、もうわかっているのか。姉も来ていたが感づいただろうか。真緒をバレエに連れていく。帰る頃に大雨が降り出し、実家で足止めを食らう。
もう耐えられない。布団に入って、話をしはじめる。しんどい?から始まって、どう?と言ってる間に、ちゃこが、「本当はどうなの?」って言って、泣き出してしまった。「がん」「あとどれくらい、生きられるの?」「6ヶ月」「ごめんね、ごめんね...」その言葉ばかり、二人、抱き合って泣きじゃくる。「でも、できる限りのことはする。絶対助ける。まだ、がんがおなかに散ってるかどうかもわからへんから。手術もちゃんとして確認しよ。色んな治療も探すから。あきらめないで。」そう言って何とか落ち着かす。
夜Hiroに全部話してもらう。言葉が出ない・・・前向きに生きよう・・・