究極の選択

告 知
 患者本人にガンであること、そして余命6ヶ月であることを告げることは家族にとって大きな選択を迫られることになります。どちらがいいのか一概には言えないでしょうが、私の場合は少し違っています。
 まず、この世ですべての人がいなくなっても絶対に側にいてほしいと思っていた妻が死を宣告されたことで悲しくて悲しくてとても普通ではいられなかったのです。雅子と顔を合わせている中で隠し通せる自信はまったくなかったし、その内に気づかれるでしょう。どうにも耐え切れなくなって言ってしまったというのが本当のところです。自分自身のわがままと弱さがそうさせたのでしょうが、結果的には夫婦の絆はきちんと保たれたと思っています。
 ところが、問題はこのあと起こります。告知のあと、手術をし、ガンがどれほど広がっているかを確認することになります。せめて胃とその周りの臓器にすこしある程度なら、助かる可能性も少しはあるが、腹腔にまでガンが散らばっているともう助かる見込みはない。そんな中での手術でした。実際はかなり散らばって完全に手遅れだったのですが、手術が終わってからさすがにこのことを知らせる勇気はありませんでした。つまり、ガンであることを告知しながら、ガンは治ったんだという気持ちを持たせてしまうことになったのです。もちろん、完全に治ったなどとは思っていなかったでしょうし、おそらく散っていることも知っていたのではないかと思いますが、そのあとあまり触れられないことになってしまいました。
 お互いの気持ちはわかっているのに、触れられないことがある。それぞれの気持ちは繋がって信頼しあえているのにどこかで心をすべて開いて話ができない。そんなもどかしさを結局、最期まで引きずってしまいました。そう思っているのは自分だけかもしれませんけど。